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2021.06.15 14:19|日々のこと
アマゾンプライムが私の視聴履歴から推察したおすすめ映画を定期的に送信してくるのだが、
先日、そんなおすすめに『ジェイソン・ボーン』シリーズと並んで『ホテル・ムンバイ』があった。

タイトルを見るとインド映画っぽい。ふ~ん、インド映画ねぇ、とさして気乗りしないままレビューを見ると
これがなかなか高評価。2008年にムンバイ(旧ボンベイ)で起きた同時多発テロ事件が元だそう。この事件の事は
よく知らないが面白そうなので観てみることにした。キャストにアーミー・ハマーの名もある。
『コードネームU・N・C・L・E』で演じたクールなロシア人スパイが最高に格好良くはまり役だった彼。
育ちの良さを感じさせる美丈夫で、さらなる飛躍を期待していたのに、あのような騒ぎになり残念だ。



タージマハル・ホテルに閉じ込められ、人質となった500人以上の宿泊客と、
プロとしての誇りをかけて彼らを救おうとしたホテルマンたちの姿を描く
(Wikipediaより)
と美談みたいに書いてあるけれど、これは人災ではないのか?と思わずにはいられないほど、インド軍と警察の有事対応は
難ありの感が否めない。ホテル襲撃の第一報から特殊部隊が到着するまで数日を要したり、最初に突入した弱冠6名の警官は
自動小銃に手榴弾装備の敵にピストル1丁で立ち向かうという、特攻並みの捨て身っぷり。
そんなこんなでテロリスト達のいいように蹂躙され、目を覆いたくなるような惨劇となった。

もとよりテロリストの大義名分は理解不能だけれど、異教徒というだけであそこまで憎悪を募らせることができるものだろうか。
人をまるで虫けらのように、いやたとえ害虫であっても殺すのに幾ばくかの胸の痛みを覚える私から見れば、
彼らの同じ人間に対する慈悲のかけらもない行為には心から戦慄を覚える。人を救うのが宗教のはず、なのに。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、千年以上いがみ合っている宗教はいずれも一神教である。
世界中で勃発する彼らの争いごとを傍観していて、いつも思い出すのは宗教学者の山折哲雄の言葉だ。

私は1995年の秋に、初めてイスラエルを訪れた。そしてイエス・キリストの足跡を追うような形で旅をしたが、
行けども行けども砂漠、砂漠の連続で、次第に気分が落ち着かなくなった。地上に頼るべきものが何一つ存在しない、
そんな実感が胸に迫ってきた。「聖書」をただ読んでいるときの印象とはまるで違う。

ヨルダン川沿いに聖都エルサレムに向かっているときだった。
天上のはるか彼方(かなた)に唯一の価値あるものを求めざるを得なかった砂漠の民の思いが、突然、脳裏にひらめいた。
地上の砂漠から隔絶した彼方に、唯一の神の存在を信ずるほかなかった砂漠の民の悲願である。
それを信ずることなしには一日たりとも生きてはいけない、そういう切実な認識である。
一神教という「信じる宗教」がこうして誕生したのだ、と思わないわけにはいかなかったのである。

イスラエルの旅を終え、飛行機が日本列島に近づいたとき、私は目を洗われるような気分になった。
眼下に緑なす森林が続き、大海に流れ入る河川と鬱蒼(うっそう)たる樹木に覆われた光景がどこまでも展開していたからだ。
思わず、山の幸、海の幸の数々が眼前に浮かぶ。清冽(せいれつ)な川の流れの音が聞こえ、四季折々の草花がにおい立つ。

古代の万葉歌人たちの感覚が蘇り、かつての山中生活者たちの胸の鼓動までが聞こえてくる。
この地上こそ、生きとし生ける者たちの安らぎの場所、何も天上の彼方に唯一の価値あるものを追い求める必要はない。
森林や山野に神々の気配が満ち、仏たちの声がこだましている。多神教という名の「感じる宗教」が、
こうしてこの日本列島に育まれるようになったのではないか。


この文章を読み返すたび、私は日本に生まれた幸運に感謝する。
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Author:nonogu
永香農園
福岡県福津市上西郷地区で農業をしています。夫婦二人にパートさん3人、後継者候補のアルバイト男性一人に研修生一人。主な栽培品目はアスパラ、ネギ、ホウレンソウ、ニンニク、里芋、落花生。

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