久留米まち旅 梅林寺座禅修行体験
2020.11.23 23:38|日々のこと|
念願叶って初の座禅修行に参加してきました。
場所は、久留米藩主有馬家の菩提寺、臨済宗妙心寺派の古刹梅林寺。
こちらのお寺は九州屈指の座禅修行道場として有名で、座禅初心者が参加させて頂くのは
身に余る光栄と言っていいほどの、大変由緒あるお寺です。以下はWikipediaの梅林寺ページより抜粋。
梅林寺(久留米市)・・・岐阜県の妙法山正眼寺と共に修行の厳しさで知られ、この梅林寺からは香夢室など、
本山、妙心寺の管長も出している。その香夢室に十数年師事し公案を全てやり遂げた加藤耕山など、多くの名僧を
世に送り出してきた。真に修行を成し遂げようとする雲水にとってこの梅林寺は今も重きをなす道場である。
山門で出迎えて下さった久留米市観光協会の方によれば、普段はこのお寺に檀家以外の人間は入れないのだそう。
ここは修行の場であり、私達も修行をさせて頂くという意識を持つこと。私語は慎み足音なども極力立てないように
気を付けて下さいと注意がありました。国指定の史跡に登録されたばかりの有馬家代々の墓所や、精巧な彫りの
唐門など見所が随所にあります。個人的には、扁額の”紫海禅林”、”萬民威頼”等の意味がすごく気になりました。
来年創建400年を迎えるという梅林寺ですが、明治の廃仏毀釈で有馬家の墓所を除く殆どの建造物が破壊され、
現存する建物は100年ほど前に再建されたものだそうです。
廃仏毀釈・・・仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、仏教を廃することを指す。とりわけ明治初期に
神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で、多年にわたり仏教に虐げられてきたと考えていた神職者や民衆が起こした
一連の動きを指すことが多い。各地で仏像・経巻・仏具の焼却や除去が行なわれたが、この事件が仏教覚醒の好機ともなり、
日本近代仏教は廃仏毀釈をてことして形成されていった。(Wikipediaより抜粋)
明治期はまさしく仏教受難の時代だったんですね。廃仏毀釈と廃藩によって荒廃した梅林寺の再興に尽力し、
九州随一の禅道場にしたのが15世住職の猷禅玄達老師という方で現住職の東海大玄老師は19世だそうです。
案内役の雲水さんによれば、入門当時は50名を超す修行僧が在籍していたそうですが、現在は5名を残すのみで
全然人手が足りないと仰っていました。広大なお寺ですから、禅宗で最も大切な日々の作務(掃除)をこなすだけでも
大変でしょう。そこにお葬式や色んな行事も入ってくれば托鉢に行く時間すらなかなか取れないとのことでした。
我々俗世間の人間には想像もできないご苦労がおありのようでした。
たった5名で老師の身の回りのお世話から建物や庭の手入れ、日々の食事作りに座禅修行・・・。
その上食事作りは竈で火力は薪や落ち葉でまかない、数日に一度しか入れないというお風呂は五右衛門風呂で、
しかも桶3杯分のお湯しか使えないのだとか。我々が当たり前のように使っている文明の利器とは無縁の世界です。
これを修行と言わずして何と言いましょう。それらの事を知った後で味わう質素な食事は、たとえ肉や魚がなくとも
殊更に美味しく感じますし、有り難くて手を合わせたくもなるというものです。
さて、体慣らしの座禅から始まった修行体験の中身はというと。雲水さんと同じ献立の昼食を取ったり、
本堂にて東海大玄老師のお話しをたまわり、さらには般若経転読(600巻の般若経を読む代わりに豪快に
パラパラめくるもの)では経本で有り難く渇を入れて頂いたりもしました。雲水さん達の修行生活に
比べたら屁ほどの厳しさもない体験だったと思いますが、自分達がいかに俗と欲にまみれてラク~な
暮らしをしているのかがよーくわかりました。本当に頭が下がります。
最後まで予定されていた行事を無事終えた私達。少しは悟りの境地に近付けたかというと、一度の修行で
近づけるほど甘くはないので。座禅中も様々な雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消え。お腹すいたな、
久留米ラーメン食べたい、それとも焼き鳥がいいかな、と何とも浅ましい雑念に取り付かれた私に、
解脱の道は遠かったようです。
場所は、久留米藩主有馬家の菩提寺、臨済宗妙心寺派の古刹梅林寺。
こちらのお寺は九州屈指の座禅修行道場として有名で、座禅初心者が参加させて頂くのは
身に余る光栄と言っていいほどの、大変由緒あるお寺です。以下はWikipediaの梅林寺ページより抜粋。
梅林寺(久留米市)・・・岐阜県の妙法山正眼寺と共に修行の厳しさで知られ、この梅林寺からは香夢室など、
本山、妙心寺の管長も出している。その香夢室に十数年師事し公案を全てやり遂げた加藤耕山など、多くの名僧を
世に送り出してきた。真に修行を成し遂げようとする雲水にとってこの梅林寺は今も重きをなす道場である。
山門で出迎えて下さった久留米市観光協会の方によれば、普段はこのお寺に檀家以外の人間は入れないのだそう。
ここは修行の場であり、私達も修行をさせて頂くという意識を持つこと。私語は慎み足音なども極力立てないように
気を付けて下さいと注意がありました。国指定の史跡に登録されたばかりの有馬家代々の墓所や、精巧な彫りの
唐門など見所が随所にあります。個人的には、扁額の”紫海禅林”、”萬民威頼”等の意味がすごく気になりました。
来年創建400年を迎えるという梅林寺ですが、明治の廃仏毀釈で有馬家の墓所を除く殆どの建造物が破壊され、
現存する建物は100年ほど前に再建されたものだそうです。
廃仏毀釈・・・仏教寺院・仏像・経巻(経文の巻物)を破毀(破棄)し、仏教を廃することを指す。とりわけ明治初期に
神仏分離によって神道を押し進める風潮の中で、多年にわたり仏教に虐げられてきたと考えていた神職者や民衆が起こした
一連の動きを指すことが多い。各地で仏像・経巻・仏具の焼却や除去が行なわれたが、この事件が仏教覚醒の好機ともなり、
日本近代仏教は廃仏毀釈をてことして形成されていった。(Wikipediaより抜粋)
明治期はまさしく仏教受難の時代だったんですね。廃仏毀釈と廃藩によって荒廃した梅林寺の再興に尽力し、
九州随一の禅道場にしたのが15世住職の猷禅玄達老師という方で現住職の東海大玄老師は19世だそうです。
案内役の雲水さんによれば、入門当時は50名を超す修行僧が在籍していたそうですが、現在は5名を残すのみで
全然人手が足りないと仰っていました。広大なお寺ですから、禅宗で最も大切な日々の作務(掃除)をこなすだけでも
大変でしょう。そこにお葬式や色んな行事も入ってくれば托鉢に行く時間すらなかなか取れないとのことでした。
我々俗世間の人間には想像もできないご苦労がおありのようでした。
たった5名で老師の身の回りのお世話から建物や庭の手入れ、日々の食事作りに座禅修行・・・。
その上食事作りは竈で火力は薪や落ち葉でまかない、数日に一度しか入れないというお風呂は五右衛門風呂で、
しかも桶3杯分のお湯しか使えないのだとか。我々が当たり前のように使っている文明の利器とは無縁の世界です。
これを修行と言わずして何と言いましょう。それらの事を知った後で味わう質素な食事は、たとえ肉や魚がなくとも
殊更に美味しく感じますし、有り難くて手を合わせたくもなるというものです。
さて、体慣らしの座禅から始まった修行体験の中身はというと。雲水さんと同じ献立の昼食を取ったり、
本堂にて東海大玄老師のお話しをたまわり、さらには般若経転読(600巻の般若経を読む代わりに豪快に
パラパラめくるもの)では経本で有り難く渇を入れて頂いたりもしました。雲水さん達の修行生活に
比べたら屁ほどの厳しさもない体験だったと思いますが、自分達がいかに俗と欲にまみれてラク~な
暮らしをしているのかがよーくわかりました。本当に頭が下がります。
最後まで予定されていた行事を無事終えた私達。少しは悟りの境地に近付けたかというと、一度の修行で
近づけるほど甘くはないので。座禅中も様々な雑念が浮かんでは消え、浮かんでは消え。お腹すいたな、
久留米ラーメン食べたい、それとも焼き鳥がいいかな、と何とも浅ましい雑念に取り付かれた私に、
解脱の道は遠かったようです。