『悔しい』が足りない
2021.01.17 21:38|農業|
2020年の売上を集計していた夫から、何とか昨対を超えたとの報告があった。
薄氷の、という言葉がぴったりのギリギリだったが・・・。
しかし超えたことにはかわりがないので、とりあえずホッと胸をなで下ろした次第。
私も、担当する野菜の作付け計画をようやく立て始めたところである。
ところが、今年は今までと違って気合いの入りが悪い。今まではたいてい、
『チクショ-、絶対に来年は〇〇しないようにするぞ!』とか、『〇〇してやるーッ!見ておれ!!』
みたいな感じで、メラメラ燃えたぎるものがあったのだが今年はそれがあまりない。
何でだろう?と自分なりに分析したところ、昨年は今までに比べて”悔しい”が不足しているのかなと。
ほんの2~3年前までは、例えば真夏の小ネギとか、真冬のホウレンソウのように難易度が高いもので
必ず何らかの失敗をしていた。それが私の努力の甲斐あって(自分で言うか?)、
昨年はそれほど大失敗をすることなくそこそこ上手に出来たのである。
この”そこそこ”というのがくせ者で、可もなく不可もなく程度のものは記憶に残らない。
逆に、歯噛みするほどの悔しい思いを、人間はそう簡単には忘れられないものである。
私は”コンチクショー!!”という思いをバネに生きてきた人間だ。夫のように楽天的でも
友愛主義でもないから、悔しさや反骨心という燃料が生きていく上でどうしても欠かせない。
それが薄れたということは、私も人間的に丸くなってきたということだろうか。
それならば大歓迎だ。もしかしてもうろくしてきただけなのかもしれないが・・・。
薄氷の、という言葉がぴったりのギリギリだったが・・・。
しかし超えたことにはかわりがないので、とりあえずホッと胸をなで下ろした次第。
私も、担当する野菜の作付け計画をようやく立て始めたところである。
ところが、今年は今までと違って気合いの入りが悪い。今まではたいてい、
『チクショ-、絶対に来年は〇〇しないようにするぞ!』とか、『〇〇してやるーッ!見ておれ!!』
みたいな感じで、メラメラ燃えたぎるものがあったのだが今年はそれがあまりない。
何でだろう?と自分なりに分析したところ、昨年は今までに比べて”悔しい”が不足しているのかなと。
ほんの2~3年前までは、例えば真夏の小ネギとか、真冬のホウレンソウのように難易度が高いもので
必ず何らかの失敗をしていた。それが私の努力の甲斐あって(自分で言うか?)、
昨年はそれほど大失敗をすることなくそこそこ上手に出来たのである。
この”そこそこ”というのがくせ者で、可もなく不可もなく程度のものは記憶に残らない。
逆に、歯噛みするほどの悔しい思いを、人間はそう簡単には忘れられないものである。
私は”コンチクショー!!”という思いをバネに生きてきた人間だ。夫のように楽天的でも
友愛主義でもないから、悔しさや反骨心という燃料が生きていく上でどうしても欠かせない。
それが薄れたということは、私も人間的に丸くなってきたということだろうか。
それならば大歓迎だ。もしかしてもうろくしてきただけなのかもしれないが・・・。