FC2ブログ

昭和の頑固親父、逝く

2023.03.21 12:02|日々のこと
夜の二時過ぎにけたたましい電話の音で目が覚めた。
寝ぼけまなこでスマホを見ると妹からである。こんな時間に電話をかけてくるなんて・・・。
覚悟を決めて応答すると、やはりと言うべきか父が亡くなったという知らせであった。享年82歳。

数年前から病院と施設を行ったり来たりしていた父ではあったが、命に関わる病気もなく、
寝たきり状態だった一時期に比べると随分元気になったと聞いていた。頭もしっかりしていて、
本人は90歳まで生きると意気軒昂だったらしいから、しばらくは安心かなと思っていたくらいである。
それがいきなり死んだと言われても頭がついてこない。

取るものも取りあえず新幹線で長崎へ向かう。
2年ぶりの帰省。長崎駅前はすっかり様変わりし、見知らぬ街のように見えた。
迎えに来た妹の車に乗り込み、車窓から流れていく長崎の街をボーッと眺める。
狭い道路を車と路面電車が行き交う、ガチャガチャした風景は自分が住んでいた20年前と変わらない。
そうだった、この逃げ場のない閉塞感に耐えられなくなった私は、長崎を出ようと決めたのだ。
故里を恋しく思う気持ちはあるけれど、やはりここにはもう住めないなと思う。

実家で対面した父は眠っているようにしか見えなかった。
高い頬骨に手を触れ、その冷たさに父が死んだことがジワジワと胸に迫ってきた。
最後まで豊かだった父の白髪を撫でる。私の涙につられた妹の嗚咽が傍らから聞こえてきた。
初孫で、父が目の中に入れても痛くないほど可愛がった姪のゆき、甥の駿も赤く目を腫らしている。
娘達にはひたすら厳しい父であったが、孫とひ孫には無限の愛情と優しさを降り注いだ好好爺だった。

死因は偶発的な事故が原因と思われる。発見が遅れ、施設の職員が気付いた時にはすでに心肺停止状態だった。
その後の連絡も後手に回り、妹達が病院に駆けつけた時には蘇生は絶望的な状況だったという。

連絡の遅れや施設側の説明が要領を得なかったことで少なからぬ不信感が残ったが、
今さら騒いだところで父は戻ってこない。こういう事は表に出ないだけでよくあることなのかもしれない。
ただ、最後の時に父が一人で苦しんで逝ってしまったのではないかという悔いはこの先もずっと残るだろう。

喪主である母は悲しんでいる暇もなく、弔問客の対応と通夜と葬儀の打ち合わせに追われていた。
と言っても、80歳で衰えが見える母のため、万が一にも抜かりのないよう3人の娘達がつきっきりで補佐に回ったのであるが。

コメント

非公開コメント

04 | 2023/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
プロフィール

nonogu

Author:nonogu
永香農園
福岡県福津市上西郷地区で農業をしています。夫婦二人にパートさん3人、後継者候補のアルバイト男性一人に研修生一人。主な栽培品目はアスパラ、ネギ、ホウレンソウ、ニンニク、里芋、落花生。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR