怒りの手なずけ方
2023.06.03 16:47|日々のこと|
毎年のように日本の犯罪史に残る出来事が起きている気がする。
衝撃的な事件が起き、いっとき世間の注目を集めても次から次に新たな事件が起きるものだから
あれっていつの事だっけ?と思い出せないことも珍しくない(私の記憶力の問題かも・・)。
とりわけ長野県中野市で起きた事件には、農業に長年携わってきた者として、
また同じように生き辛さを抱える人間の一人として大きな衝撃を受けた。
親が甘やかしすぎたとか、いいやこの御両親はできる限りのことをやったとか、
成人過ぎた息子の不始末に親は関係ないとか、世間の声は未だかまびすしいけれど、
そんなの結果論に過ぎないじゃないかと私は思う。
世の中には、酷い虐待を生き抜き立派に育つ人間もいれば、親の愛情が仇となり堕落してしまう人間もいる。
親の望むとおりに育つ子供なんぞめったにいない。今回は子供の気質と親の育て方の相性がたまたま悪かったのだろう。
青木容疑者のようないわゆるグレーゾーンにいる人々は、環境とうまく折り合えないジレンマを抱えながらも、
本人は自分は普通だと思っているから、周囲からの”変わった人”という評価とのギャップに苦悩する。
当然の成り行きとしてそのような人は学校で浮く。会社勤めにも行き詰まる。職を転々とし、しまいにはひきこもる。
周囲から腫れ物扱いされ、社会人失格の烙印を押され、自分の殻に閉じこもる。
私も、物心つくかつかないかの頃から常に人間関係に悩み、無邪気とはほど遠い子供時代を送った。
空想がちで頻繁に白昼夢状態に陥っていたけれど、それとて悲しい思いをすることの多い現実世界から
自分を守る術だったのだろう。唯一、猫と過ごす時だけ気が休まった。
生き辛さってどういうの?と訊かれてもうまく説明するのは難しい。
イメージ的には、空にどんよりと広がる黒い雲状のものが自分の中に居座っている感じである。
そういう人の内面では、外からはうかがい知れない激しい葛藤が起きており、孤独感、悲しみ、妬み嫉み、
ありとあらゆる負の感情がぶつかりあい、気力を奪われ、疲れ果てている。
この負の感情の源泉は怒りである。
抱えた怒りが自分に向かえば自分を傷つけ、怒りの矛先が外に向かえば他人に害が及ぶ。
自傷他害にまで及ぶほどの憤怒がどのように醸成されるのか。彼らの精神世界でいったい何が起きているのか。
実は、怒りで押し殺した心の奥底には、わかってもらえない辛さや淋しさ、自己嫌悪等の本当の感情が潜んでいるのである。
もしも激しい怒りが湧いてきたら、自分は今何に腹を立てているのかを注意深く探っていくことだ。
そうすると、怒りで蓋をしたまことの気持ちが見えてくる。
無視されて腹が立ったのではなく、本当は悲しかったのだ。
悲しく感じた自分を受け入れ、怒りではなく悲しさを表現することが重要なのである。
怒りの正体を見極められるようになれば、怒りの感情に振り回されることもなくなり、心は自ずと平らかになってくるはずだ。
そうすると次第に自分の素直な感情を出せるようになり、周囲との軋轢も減るだろう。
私も一歩間違えば道を踏み外していたかもしれない。
どういう運命の巡り合わせか私は夫と巡り合い、農業に自分の生きる道を見出すことができた。
長野の容疑者も、怒りの下に潜んだ本当の気持ちを理解できていたなら、こんな事件を起こすこともなかったろうと思う。
今さら考えても詮無いことではあるが・・。
衝撃的な事件が起き、いっとき世間の注目を集めても次から次に新たな事件が起きるものだから
あれっていつの事だっけ?と思い出せないことも珍しくない(私の記憶力の問題かも・・)。
とりわけ長野県中野市で起きた事件には、農業に長年携わってきた者として、
また同じように生き辛さを抱える人間の一人として大きな衝撃を受けた。
親が甘やかしすぎたとか、いいやこの御両親はできる限りのことをやったとか、
成人過ぎた息子の不始末に親は関係ないとか、世間の声は未だかまびすしいけれど、
そんなの結果論に過ぎないじゃないかと私は思う。
世の中には、酷い虐待を生き抜き立派に育つ人間もいれば、親の愛情が仇となり堕落してしまう人間もいる。
親の望むとおりに育つ子供なんぞめったにいない。今回は子供の気質と親の育て方の相性がたまたま悪かったのだろう。
青木容疑者のようないわゆるグレーゾーンにいる人々は、環境とうまく折り合えないジレンマを抱えながらも、
本人は自分は普通だと思っているから、周囲からの”変わった人”という評価とのギャップに苦悩する。
当然の成り行きとしてそのような人は学校で浮く。会社勤めにも行き詰まる。職を転々とし、しまいにはひきこもる。
周囲から腫れ物扱いされ、社会人失格の烙印を押され、自分の殻に閉じこもる。
私も、物心つくかつかないかの頃から常に人間関係に悩み、無邪気とはほど遠い子供時代を送った。
空想がちで頻繁に白昼夢状態に陥っていたけれど、それとて悲しい思いをすることの多い現実世界から
自分を守る術だったのだろう。唯一、猫と過ごす時だけ気が休まった。
生き辛さってどういうの?と訊かれてもうまく説明するのは難しい。
イメージ的には、空にどんよりと広がる黒い雲状のものが自分の中に居座っている感じである。
そういう人の内面では、外からはうかがい知れない激しい葛藤が起きており、孤独感、悲しみ、妬み嫉み、
ありとあらゆる負の感情がぶつかりあい、気力を奪われ、疲れ果てている。
この負の感情の源泉は怒りである。
抱えた怒りが自分に向かえば自分を傷つけ、怒りの矛先が外に向かえば他人に害が及ぶ。
自傷他害にまで及ぶほどの憤怒がどのように醸成されるのか。彼らの精神世界でいったい何が起きているのか。
実は、怒りで押し殺した心の奥底には、わかってもらえない辛さや淋しさ、自己嫌悪等の本当の感情が潜んでいるのである。
もしも激しい怒りが湧いてきたら、自分は今何に腹を立てているのかを注意深く探っていくことだ。
そうすると、怒りで蓋をしたまことの気持ちが見えてくる。
無視されて腹が立ったのではなく、本当は悲しかったのだ。
悲しく感じた自分を受け入れ、怒りではなく悲しさを表現することが重要なのである。
怒りの正体を見極められるようになれば、怒りの感情に振り回されることもなくなり、心は自ずと平らかになってくるはずだ。
そうすると次第に自分の素直な感情を出せるようになり、周囲との軋轢も減るだろう。
私も一歩間違えば道を踏み外していたかもしれない。
どういう運命の巡り合わせか私は夫と巡り合い、農業に自分の生きる道を見出すことができた。
長野の容疑者も、怒りの下に潜んだ本当の気持ちを理解できていたなら、こんな事件を起こすこともなかったろうと思う。
今さら考えても詮無いことではあるが・・。