長崎帰省日記~一日目
2019.04.04 20:21|日々のこと|
4/2(火)。午前11時15分博多発のかもめに2時間揺られて長崎に到着。実に4年ぶりの帰省である。
腹ぺこだったが、ホテルのある思案橋界隈で皿うどんを食べようと、我慢してちんちん電車で駅から移動。
思案橋グルメ通りにある中華屋のうち、よこはまと康楽はあいにく休み。残る1軒、営業中の札を下げた天天有に入る。
ちゃんぽんで有名な康楽は、飲みの帰りに何度か行ったことがあるが天天有は初めて。店内は散らかり放題で汚い。
中国語でまくし立てている店員とおぼしき男女二人。店を出たくなったがそういうわけにもいかず、味は天下一品かも
しれない、という一縷の望みを抱いて特製皿うどんを注文する。
悲しいことに皿うどんはマズく、最初っから宝来軒別館に行っときゃよかったと激しく後悔。宝来軒の皿うどんは絶品なのだ。
よくこんなんで思案橋でやっていけるな、と悪い方に感心しながら店を出、徒歩2分のホテルリッチモンドを目指す。

(ホテルの部屋。一人には十分すぎる広さで、清潔で設備も申し分なく大満足。部屋からヤタロウが見える。)
帰るたびに風景が変わっているので、以前そこに何があったか思い出すのに苦労する。現在ホテルリッチモンドが
建つ場所は、私が青春時代足繁く通った居酒屋やぐら茶屋とかディスコのスクエアがあった場所あたり。よく通った
食べ物屋さんもその多くがなくなっていて、寂しい限り。そんな中でもお好み焼きのみつ屋、くわ焼き半蔵、焼き鳥
武将門などがまだがんばっていて嬉しかった。

(大徳寺の大楠)
父が入院する旧市民病院まで散策がてら歩いていくことにする。浜の町界隈には3度の引っ越しを経て
十年以上住んでいたので、この辺りは私の庭みたいなもの。寂れた感じは否めないが、記憶の中の風景と重ね、
懐かしさで胸がいっぱいになる。

子供達が元気に遊ぶ、桜が満開の大徳寺の境内。名物の梅ヶ枝餅の売店は閉まっていた。

ありふれた住宅街の中に自然に溶け込んでいる館内の唐寺群。東山手と南山手が欧州人の居留地だったのに対し、
新地中華街にもほど近いこの辺りは華僑の居留地だった。

これらの唐寺、旧正月のイベント、ランタンフェスティバルの時期には色とりどりの提灯に彩られて大変華やかになる。

住んでいたアパート前の坂道。長崎で坂と階段を通らずに家にたどり着ける人は少ない。当時はそれほど
苦にならなかったけれど、今はとてもじゃないがこんな所には住めない。

長崎市民が”まち”と呼ぶ浜の町アーケード。年配の方が目立つ。夫と長崎で初デートした喫茶店がまだあった。
長崎には趣のある喫茶店(あえてカフェとは呼ばない)がたくさんある。このニューポートもそうだし、アーケード街の
yosio、冨士男、駅前の旅人茶屋もそう。長崎の喫茶店文化がこの先も守られますように。
子供の頃、ワクワクしながら歩き回った宝箱のようなアーケード街はすでに失われて久しく、銀行とドラッグストアと
百均ばかりにになってしまった。花子の部屋、好文堂書店、隣の古本屋、冨士男のジュースコーナー・・・。寂しい。
腹ぺこだったが、ホテルのある思案橋界隈で皿うどんを食べようと、我慢してちんちん電車で駅から移動。
思案橋グルメ通りにある中華屋のうち、よこはまと康楽はあいにく休み。残る1軒、営業中の札を下げた天天有に入る。
ちゃんぽんで有名な康楽は、飲みの帰りに何度か行ったことがあるが天天有は初めて。店内は散らかり放題で汚い。
中国語でまくし立てている店員とおぼしき男女二人。店を出たくなったがそういうわけにもいかず、味は天下一品かも
しれない、という一縷の望みを抱いて特製皿うどんを注文する。
悲しいことに皿うどんはマズく、最初っから宝来軒別館に行っときゃよかったと激しく後悔。宝来軒の皿うどんは絶品なのだ。
よくこんなんで思案橋でやっていけるな、と悪い方に感心しながら店を出、徒歩2分のホテルリッチモンドを目指す。


(ホテルの部屋。一人には十分すぎる広さで、清潔で設備も申し分なく大満足。部屋からヤタロウが見える。)
帰るたびに風景が変わっているので、以前そこに何があったか思い出すのに苦労する。現在ホテルリッチモンドが
建つ場所は、私が青春時代足繁く通った居酒屋やぐら茶屋とかディスコのスクエアがあった場所あたり。よく通った
食べ物屋さんもその多くがなくなっていて、寂しい限り。そんな中でもお好み焼きのみつ屋、くわ焼き半蔵、焼き鳥
武将門などがまだがんばっていて嬉しかった。

(大徳寺の大楠)
父が入院する旧市民病院まで散策がてら歩いていくことにする。浜の町界隈には3度の引っ越しを経て
十年以上住んでいたので、この辺りは私の庭みたいなもの。寂れた感じは否めないが、記憶の中の風景と重ね、
懐かしさで胸がいっぱいになる。

子供達が元気に遊ぶ、桜が満開の大徳寺の境内。名物の梅ヶ枝餅の売店は閉まっていた。


ありふれた住宅街の中に自然に溶け込んでいる館内の唐寺群。東山手と南山手が欧州人の居留地だったのに対し、
新地中華街にもほど近いこの辺りは華僑の居留地だった。


これらの唐寺、旧正月のイベント、ランタンフェスティバルの時期には色とりどりの提灯に彩られて大変華やかになる。


住んでいたアパート前の坂道。長崎で坂と階段を通らずに家にたどり着ける人は少ない。当時はそれほど
苦にならなかったけれど、今はとてもじゃないがこんな所には住めない。


長崎市民が”まち”と呼ぶ浜の町アーケード。年配の方が目立つ。夫と長崎で初デートした喫茶店がまだあった。
長崎には趣のある喫茶店(あえてカフェとは呼ばない)がたくさんある。このニューポートもそうだし、アーケード街の
yosio、冨士男、駅前の旅人茶屋もそう。長崎の喫茶店文化がこの先も守られますように。
子供の頃、ワクワクしながら歩き回った宝箱のようなアーケード街はすでに失われて久しく、銀行とドラッグストアと
百均ばかりにになってしまった。花子の部屋、好文堂書店、隣の古本屋、冨士男のジュースコーナー・・・。寂しい。