長崎原爆の日
2019.08.09 20:57|日々のこと|
子供の頃は原爆の日が好きではなかった。
なぜならこの日は小中高を通じての登校日だったからである。
夏休み真っ最中の登校日なんて、子供にとっては迷惑以外の何ものでもない。
それで、小学生の時に一度ズル休みを決行したことがある。両親の寝間の掛け時計を遅らせるという、
何とも子供じみた小細工をしたのだ。ズル休みはできたものの、親からはこっぴどく叱られた。
原爆自体は、城山小学校や爆心地公園、原爆資料館に平和公園といった一連の原爆関連施設から
家が近かったこともあって、とても身近だった。爆心地公園と旧原爆資料館には子供の頃から妹を
連れてよく遊びに訪れていたものである。
新しく建てられた明るくて小綺麗な資料館しか知らない人には想像もつかないだろうけれど、昔の資料館は
お世辞にも子供が行って楽しめる場所ではなかった。悲惨な写真や遺物が殺風景な館内に無造作に陳列され、
建物内もどことなく陰気で、夜に行ったら何か出そうな雰囲気があった。変わり者の姉に付き合わされて
そんな場所にお供させられていた妹も、内心は嫌だったかもしれない。
それはさておき。
私の両親は被爆者健康手帳の交付を受けている被爆者なので、私は被爆二世ということになる。
このことは私にとって原爆が他人事でない理由のひとつではないかと思う。
戦後74年が経ち、その記憶をどう語り継いでいくかが課題になっている。
そんな中、戦争を知らない若い人達が被爆者の体験を引き継ぎ、次代の語り部として育ち始めているという。
長崎を最後の被爆地に、という彼らの願いが届きますように。
なぜならこの日は小中高を通じての登校日だったからである。
夏休み真っ最中の登校日なんて、子供にとっては迷惑以外の何ものでもない。
それで、小学生の時に一度ズル休みを決行したことがある。両親の寝間の掛け時計を遅らせるという、
何とも子供じみた小細工をしたのだ。ズル休みはできたものの、親からはこっぴどく叱られた。
原爆自体は、城山小学校や爆心地公園、原爆資料館に平和公園といった一連の原爆関連施設から
家が近かったこともあって、とても身近だった。爆心地公園と旧原爆資料館には子供の頃から妹を
連れてよく遊びに訪れていたものである。
新しく建てられた明るくて小綺麗な資料館しか知らない人には想像もつかないだろうけれど、昔の資料館は
お世辞にも子供が行って楽しめる場所ではなかった。悲惨な写真や遺物が殺風景な館内に無造作に陳列され、
建物内もどことなく陰気で、夜に行ったら何か出そうな雰囲気があった。変わり者の姉に付き合わされて
そんな場所にお供させられていた妹も、内心は嫌だったかもしれない。
それはさておき。
私の両親は被爆者健康手帳の交付を受けている被爆者なので、私は被爆二世ということになる。
このことは私にとって原爆が他人事でない理由のひとつではないかと思う。
戦後74年が経ち、その記憶をどう語り継いでいくかが課題になっている。
そんな中、戦争を知らない若い人達が被爆者の体験を引き継ぎ、次代の語り部として育ち始めているという。
長崎を最後の被爆地に、という彼らの願いが届きますように。