母について
2019.09.09 17:53|日々のこと|
昨夜、長崎の妹から電話があった。普段はメールのやりとりのみなので、珍しい夜の電話に
『もしや父に何かあったのか?』という不吉な考えが頭をよぎったが、そうではなかった。
とりあえず胸をなで下ろし、どうしたのかと尋ねると、妹は堰を切ったように自分を煩わせる家族
(両親、姉、姪)ついての不安や不満を吐き出した。
脳梗塞で入院していた父が母の待つ自宅に戻って早2ヶ月。多少の後遺症はあるものの、要介護1で
自分の身の回りのことは自分でほぼでき、不明瞭だった言葉もだいぶ戻ってきたらしい。
父が帰宅するにあたっては、老老介護になる母の負担が一番の不安材料であったが、
これくらいなら何とかなりそうだと周りは安堵していた。
そころが、そう思っていたのは娘達だけで、当の母は父が帰ってきた当初からまるで世界中の不幸を一身に
背負ったかのような悲嘆ぶり。事あるごとに自分がいかに大変か、父がどれだけ手がかかるかを訴え、泣き、
周りを手こずらせた。母の性格を考えれば、早晩そうなるであろうことは容易に想像がついた。しかし、現実は
予想の上を行く展開だった。
妹は自分の生活もあるのに何かに付け老父母から頼られて、パンク寸前のように見える。
二十歳そこそこで親元を逃げ出し、現在も離れて暮らす私などが何を言っても無責任でしかないのは百も承知で、
『あんたは十分やってる。自分を犠牲にしてまで親に尽くす必要は無いのだから、自分の生活を一番に考えて』と話をした。
『もっと普通の、優しい両親の下に生まれたかった・・・』とため息をつく妹が不憫である。
事ほどさように、愚かな親は子供の人生を狂わせる。
『もしや父に何かあったのか?』という不吉な考えが頭をよぎったが、そうではなかった。
とりあえず胸をなで下ろし、どうしたのかと尋ねると、妹は堰を切ったように自分を煩わせる家族
(両親、姉、姪)ついての不安や不満を吐き出した。
脳梗塞で入院していた父が母の待つ自宅に戻って早2ヶ月。多少の後遺症はあるものの、要介護1で
自分の身の回りのことは自分でほぼでき、不明瞭だった言葉もだいぶ戻ってきたらしい。
父が帰宅するにあたっては、老老介護になる母の負担が一番の不安材料であったが、
これくらいなら何とかなりそうだと周りは安堵していた。
そころが、そう思っていたのは娘達だけで、当の母は父が帰ってきた当初からまるで世界中の不幸を一身に
背負ったかのような悲嘆ぶり。事あるごとに自分がいかに大変か、父がどれだけ手がかかるかを訴え、泣き、
周りを手こずらせた。母の性格を考えれば、早晩そうなるであろうことは容易に想像がついた。しかし、現実は
予想の上を行く展開だった。
妹は自分の生活もあるのに何かに付け老父母から頼られて、パンク寸前のように見える。
二十歳そこそこで親元を逃げ出し、現在も離れて暮らす私などが何を言っても無責任でしかないのは百も承知で、
『あんたは十分やってる。自分を犠牲にしてまで親に尽くす必要は無いのだから、自分の生活を一番に考えて』と話をした。
『もっと普通の、優しい両親の下に生まれたかった・・・』とため息をつく妹が不憫である。
事ほどさように、愚かな親は子供の人生を狂わせる。