大川小裁判に感じる違和感
2019.10.13 22:48|日々のこと|
行き過ぎたアメリカナイズの弊害か、それともTVに跋扈する法律相談番組の影響か、
昔なら訴訟など考えもしなかった事で裁判沙汰になることが増えている。
私が特に違和感を感じるのは、自然災害で被災した人達が自治体や企業相手に起こす訴訟だ。
明らかな人災ならば理解の余地もあるけれど、大川小の場合は同じ被災者が原告と被告に分かれて
争っているように見える。
あの未曾有の災害を前に、とっさに最善の判断ができなかった先生方をそしるのは、死者に鞭打つようで
日本人の価値観と相容れないものを感じる。賠償金や補償金といったカネの臭いに敏感な、自称”人権派弁護士”が、
裁判をたきつけたりするのかもしれない。仮に賠償金を勝ち得たとして、果たしてご遺族の気持ちはおさまるのだろうか。
私達の五臓六腑に染みこんでいるある種の諦念や無常観は、荒ぶる自然に翻弄され続けてきた
日本人が身につけた生きる智慧だと思う。この国のどこに住んでいようと天災と無縁ではいられないし、
自然相手に文句を言ったところで詮無いからである。
この”しょうがない”で苦難を乗り越え、さぁまた頑張ろうと次に気持ちを向けることができた。
そうでないと、次から次にやってくる天災を乗り越えることなど出来ないのである。
よく言われる日本人の忘れっぽさも、この国で生きる術のひとつではないだろうか。
嫌な事をすぐに忘れ、恨み辛みを引きずらず、すぐに許すお人好しの日本人。
貧乏くじをひくことが多くたって、それでいいんじゃないのと思う私は甘ちゃんなのかな。
昔なら訴訟など考えもしなかった事で裁判沙汰になることが増えている。
私が特に違和感を感じるのは、自然災害で被災した人達が自治体や企業相手に起こす訴訟だ。
明らかな人災ならば理解の余地もあるけれど、大川小の場合は同じ被災者が原告と被告に分かれて
争っているように見える。
あの未曾有の災害を前に、とっさに最善の判断ができなかった先生方をそしるのは、死者に鞭打つようで
日本人の価値観と相容れないものを感じる。賠償金や補償金といったカネの臭いに敏感な、自称”人権派弁護士”が、
裁判をたきつけたりするのかもしれない。仮に賠償金を勝ち得たとして、果たしてご遺族の気持ちはおさまるのだろうか。
私達の五臓六腑に染みこんでいるある種の諦念や無常観は、荒ぶる自然に翻弄され続けてきた
日本人が身につけた生きる智慧だと思う。この国のどこに住んでいようと天災と無縁ではいられないし、
自然相手に文句を言ったところで詮無いからである。
この”しょうがない”で苦難を乗り越え、さぁまた頑張ろうと次に気持ちを向けることができた。
そうでないと、次から次にやってくる天災を乗り越えることなど出来ないのである。
よく言われる日本人の忘れっぽさも、この国で生きる術のひとつではないだろうか。
嫌な事をすぐに忘れ、恨み辛みを引きずらず、すぐに許すお人好しの日本人。
貧乏くじをひくことが多くたって、それでいいんじゃないのと思う私は甘ちゃんなのかな。