鉛筆削り
2019.11.17 18:15|日々のこと|
子供の頃からシャーペンより鉛筆派だった。
筆圧の強い私はシャーペンの細い芯をしょっちゅう折ることになり、要らぬストレスが溜まる。
その点鉛筆ならどれだけ力を込めて書こうとも受け止めてくれる頼もしさがあるのだ。
もうひとつ、鉛筆を選ぶ理由は鉛筆を削る作業が好きだから。当然、鉛筆削りは使わず手で削る。
鉛筆削りだと身と芯の部分が短くて使い心地が良くないのだ。自分で削れば好みの長さにできるし、
自分の手の中で鉛筆が美しく整っていくさまに、言いようのない喜びを感じるのだ。
鉛筆削りには今でこそカッターナイフを使うけれど、昔は小刀(こがたな)が必須だった。
子供の頃は上手に削れなかったのだが、今はだいぶ上達した。それでも、父が小刀で削った
芯の先っぽまで見事な六角形に整えられたものにはほど遠い。
グローブのように大きな手の持ち主だった父は、その節くれ立った無骨な手からは想像も出来ないくらい
細かい手作業が得意だった。形と大きさだけは父そっくりの手を持つ私だけれど、父の器用さは半分も
遺伝しなかったのが残念である。

筆圧の強い私はシャーペンの細い芯をしょっちゅう折ることになり、要らぬストレスが溜まる。
その点鉛筆ならどれだけ力を込めて書こうとも受け止めてくれる頼もしさがあるのだ。
もうひとつ、鉛筆を選ぶ理由は鉛筆を削る作業が好きだから。当然、鉛筆削りは使わず手で削る。
鉛筆削りだと身と芯の部分が短くて使い心地が良くないのだ。自分で削れば好みの長さにできるし、
自分の手の中で鉛筆が美しく整っていくさまに、言いようのない喜びを感じるのだ。
鉛筆削りには今でこそカッターナイフを使うけれど、昔は小刀(こがたな)が必須だった。
子供の頃は上手に削れなかったのだが、今はだいぶ上達した。それでも、父が小刀で削った
芯の先っぽまで見事な六角形に整えられたものにはほど遠い。
グローブのように大きな手の持ち主だった父は、その節くれ立った無骨な手からは想像も出来ないくらい
細かい手作業が得意だった。形と大きさだけは父そっくりの手を持つ私だけれど、父の器用さは半分も
遺伝しなかったのが残念である。
