無償の愛
2020.07.25 22:27|日々のこと|
子供の頃に十分な慈しみを受けた人は、無条件に自分の価値を信じることができる。
もし何の取り柄もなかったとしても(そんな人間いないと思うけれど)、自分は存在に値する
人間なんだと胸を張って人生を歩むことができる。けれど・・・。
幼少期に無償の愛を与えられなかった人は、自己肯定感の低さに生涯苦しめられる。
良い子でなくても勉強ができなくても、どんなにわがままを言っても、親は自分を絶対に見捨てないという
安心感がないために、愛情とは自分が何かを差し出すことによってしか得られないものだとの強固なすり込みが
できてしまう。無償の愛が育てる自信。これは長い人生を生きていく我が子に、親が与えることのできる
最強のお弁当だ。
無償の愛を例えるなら、家の基礎みたいなものだと思う。
基礎がしっかりしていない家は、強風に揺らぎ、台風であっけなく壊れてしまう。
以前夫に言ったことがある。
『〇〇さんてさぁ、根拠のない自信のあるよね。それってどこから来ると?』って。
決して嫌みではなく、心からそう思った。私に絶対的に欠けているものだ。
私の自信は根拠があることが必須条件で、それはほぼ他人からの評価で決まる。
私の人生の大半、他人からの評価を得るために一所懸命頑張ってきた。周囲からの評価が
自分の価値を信じられる唯一の拠り所だったのだ。なんと危なっかしいことか。
もちろん夫は良い人間である。誠実で、男らしく、働き者。
しかも他人から受けた恩は一生忘れない鶴のような人でもある。自信の根拠をたくさん持っている。
しかし夫からみなぎる自信は夫がどんな人間かに関係なく、いついかなる時でもみじんも揺らがない。
大家族だった夫は、曾祖父母、祖父母、両親、姉と兄から惜しみない愛情を注がれてのびのび育った。
無償の愛情を、サンサンと浴びて育った典型のような人なのである。
私は子供を持たなかった。母に愛された記憶がないから、我が子の愛し方がわからないかもしれないという
怖さがあった。負の連鎖を繰り返したくなかった。親との間に確執を抱えた人間が往々にして子供を
持たない選択をするのは、そういう理由があるように思う。
もし何の取り柄もなかったとしても(そんな人間いないと思うけれど)、自分は存在に値する
人間なんだと胸を張って人生を歩むことができる。けれど・・・。
幼少期に無償の愛を与えられなかった人は、自己肯定感の低さに生涯苦しめられる。
良い子でなくても勉強ができなくても、どんなにわがままを言っても、親は自分を絶対に見捨てないという
安心感がないために、愛情とは自分が何かを差し出すことによってしか得られないものだとの強固なすり込みが
できてしまう。無償の愛が育てる自信。これは長い人生を生きていく我が子に、親が与えることのできる
最強のお弁当だ。
無償の愛を例えるなら、家の基礎みたいなものだと思う。
基礎がしっかりしていない家は、強風に揺らぎ、台風であっけなく壊れてしまう。
以前夫に言ったことがある。
『〇〇さんてさぁ、根拠のない自信のあるよね。それってどこから来ると?』って。
決して嫌みではなく、心からそう思った。私に絶対的に欠けているものだ。
私の自信は根拠があることが必須条件で、それはほぼ他人からの評価で決まる。
私の人生の大半、他人からの評価を得るために一所懸命頑張ってきた。周囲からの評価が
自分の価値を信じられる唯一の拠り所だったのだ。なんと危なっかしいことか。
もちろん夫は良い人間である。誠実で、男らしく、働き者。
しかも他人から受けた恩は一生忘れない鶴のような人でもある。自信の根拠をたくさん持っている。
しかし夫からみなぎる自信は夫がどんな人間かに関係なく、いついかなる時でもみじんも揺らがない。
大家族だった夫は、曾祖父母、祖父母、両親、姉と兄から惜しみない愛情を注がれてのびのび育った。
無償の愛情を、サンサンと浴びて育った典型のような人なのである。
私は子供を持たなかった。母に愛された記憶がないから、我が子の愛し方がわからないかもしれないという
怖さがあった。負の連鎖を繰り返したくなかった。親との間に確執を抱えた人間が往々にして子供を
持たない選択をするのは、そういう理由があるように思う。