視線の恐怖
2020.10.16 21:30|日々のこと|
20代後半くらいから、視線恐怖にとらわれ始めた。自分や他人の視線に恐怖を感じることである。
私の場合、人を見ることと自分が見られることの両方に強い抵抗を覚えるようになった。発症のきっかけは
生まれ持った気質とそれまでの積み重ね、そこにきっかけとなる出来事が作用したのだろうと思う。
私はそれまでに輪をかけて人とうまく関われなくなっていた。
特に、他人が自分の視界にはいると途端に緊張して体が強ばり、自然に振る舞えなくなる。
私の緊張は確実に相手にも伝わって相手もストレスを感じ、互いに居心地の悪い思いをすることになってしまう。
元々一人でいることが好きではあったけれど、視線恐怖に悩まされるようになってからますます一人になりたいと
強く思うようになった。しかし仕事をしている以上ずっと一人というわけにもいかず、一日終わる頃には精根尽き果てる、
という毎日だった。私は人といることに心底疲れ切っていた。
このままじゃストレスで早死にする。20年近く経ってもいっこうに改善されない症状に、私は危機感を持ち始めた。
社交不安症(対人恐怖症)の一種である視線恐怖を克服するには、認知行動療法が有効とされているが、
症状の改善には染みついている自分の考え方や行動の癖を一個一個矯正していくという、気の遠くなるような
地道な取り組みをせねばならない。
それでも、長年悩まされてきたこの症状に名前が付いていると知っただけで私は嬉しかったし、
同じように悩み苦しむ人が大勢いると知り、勇気づけられもした。
時々、なんでこんなに弱っちぃ人間に生まれたんだ、と恨み言のひとつも言いたくなるけれど、
弱いから同じような人の気持ちがわかるのは、そんなに悪いことじゃない、と自分に言い聞かせている。
私の場合、人を見ることと自分が見られることの両方に強い抵抗を覚えるようになった。発症のきっかけは
生まれ持った気質とそれまでの積み重ね、そこにきっかけとなる出来事が作用したのだろうと思う。
私はそれまでに輪をかけて人とうまく関われなくなっていた。
特に、他人が自分の視界にはいると途端に緊張して体が強ばり、自然に振る舞えなくなる。
私の緊張は確実に相手にも伝わって相手もストレスを感じ、互いに居心地の悪い思いをすることになってしまう。
元々一人でいることが好きではあったけれど、視線恐怖に悩まされるようになってからますます一人になりたいと
強く思うようになった。しかし仕事をしている以上ずっと一人というわけにもいかず、一日終わる頃には精根尽き果てる、
という毎日だった。私は人といることに心底疲れ切っていた。
このままじゃストレスで早死にする。20年近く経ってもいっこうに改善されない症状に、私は危機感を持ち始めた。
社交不安症(対人恐怖症)の一種である視線恐怖を克服するには、認知行動療法が有効とされているが、
症状の改善には染みついている自分の考え方や行動の癖を一個一個矯正していくという、気の遠くなるような
地道な取り組みをせねばならない。
それでも、長年悩まされてきたこの症状に名前が付いていると知っただけで私は嬉しかったし、
同じように悩み苦しむ人が大勢いると知り、勇気づけられもした。
時々、なんでこんなに弱っちぃ人間に生まれたんだ、と恨み言のひとつも言いたくなるけれど、
弱いから同じような人の気持ちがわかるのは、そんなに悪いことじゃない、と自分に言い聞かせている。