エストニア首相「ロシアによる残虐行為は、ソ連が私たちに犯した過去の罪そっくりだ」旧ソ連の構成国のひとつ、バルト三国のエストニアは民族的・文化的にはフィンランドにごく近く、
ソ連に占領されるまではヨーロッパ的価値観の下、ロシアよりも遥かに豊かで文化的な生活を営んでいた。
しかし第二次大戦開戦時にヒトラーとスターリンが結んだ独ソ不可侵条約の秘密議定書により、ドイツに続いて
ソ連に占領され、ソ連邦崩壊まで50年もの長きにわたって恐怖政治を敷かれ、徹底的に抑圧されたのである。
エストニア首相がイギリスの雑誌に寄稿した文章を読んだあと、私が本棚から取り出したのは
大女優で文筆家でもある岸惠子さんのエッセイ、『ベラルーシの林檎』。
『ベラルーシの林檎』で、とても印象に残っている部分がある。ソ連崩壊直後、急速に民主化が進むバルト三国を
岸さんがテレビクルーと共に一般家庭を取材で訪れた時の場面だ。
ソ連崩壊の煽りを受けて極端なインフレと物資不足に苦しむラトビア人の家族に、
『共産圏では家賃も税金も医療費もタダだったから、独立できて善し悪しでは?』と問うた日本人のテレビ
ディレクターに、穏やかにしかし決然たる口調でラトビア人女性はこう返した。
『
とんでもない。祖国が取り戻せたのよ。どんな我慢も出来るわ。一年前まではラトヴィア語を話したり
ラトヴィアの歌を歌うだけで逮捕されたのよ』
独立直後のバルト三国で当時最も発展が進んでいたリトアニアで映画監督の家を訪ねた時のエピソードは
この本の中で私の心に一番刺さった部分である。家族の食糧さえ満足に手に入らない生活の中で、
取材でやってきた東洋人たちのために心づくしの食卓を用意してくれたバイオニス一家。
これらの食材をどうやって調達したのかとマスコミ的好奇心からか、しつこく食い下がるテレビディレクタ-に、
闇市に流す物品をポーランドで仕入れるアルバイトをしている、と打ち明けるご主人と友人達。
気まずい空気が流れる中、バイオニス夫人が岸さん達に語った言葉は、
『
商店街へ行けば、何でも買える生活をなさっている西側諸国のあなた方に、私達の苦労はわかって
頂けないでしょう。私は三人の子供を抱え、仕事を持ち、石けんひとつ買うのに3時間も行列します。
子供にバナナや卵を食べさせるなんて夢のような話です。
ペレストロイカまではちょっとものを言えばシベリア行き、お陰で強くなりました。へこたれていたら
生きてゆけません。リトアニアの女性は、もうどんなことにも驚きません』
ある日突然自分達の祖国がなくなる、言葉を使えなくなる、自由にものが言えなくなるということがどういうことなのか、
海によって外敵から守られている日本に住む私達には想像するのは難しい。日本人が戦後に経験したGHQの統治さえも
旧ソ連の統治に比べると比較にならないほど寛容だったのだとわかる。
ロシア人に支配されることの恐ろしさを知っている人達の話を聞くと、現在自分の命を賭して国を守ろうと闘っている
ウクライナの人々の気持ちが理解できる気がするのである。そして、それは決して対岸の火事ではない。
